大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(行コ)30号 判決 1966年2月07日

控訴人(原告)

日垣秀雄

外三六名

代理人

重松蕃

外一名

被控訴人(被告)

長野県

代表者

西沢権一郎

代理人

宮沢増三郎

外一名

主文

原判決を取消す。

控訴人等の訴を却下する。

訴訟の総費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等訴訟代理人は、原判決を取消す、控訴人等が「長野県立学校職員の勤務評定実施要領」(昭和三十四年二月九日三四教高第三一号教育長通達)及同別冊「勤務評定書の様式および使用区分ならびに取扱要領」に定める自己観察表示の義務を有しないことを確認する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする、との判決を、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並に証拠の提出、援用及認否≪省略≫

理由

控訴人等の本訴請求の趣旨とするところは、要するに控訴人等主張の長野県教育委員会教育長通達に定める勤務評定書の様式第二表Bにおいて長野県立高等学校教員たる控訴人等に対しその職務、勤務、研修その他につき自己観察の結果の表示を命じていることは憲法及び教育基本法の趣旨に違反するものであるから、控訴人等には右自己観察の結果を表示する義務のないことの確認を求めるというのである。

よつて按ずるに、長野県立高等学校教員が地方公務員としての身分を有し、その任命権者である長野県教育委員会が法律の規定によつて右県立高等学校教員の執務について定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた措置を講ずべき職務権限を有すること、右県教育委員会が法律に基き長野県立高等学校教員の勤務評定について必要な教育委員会規則を制定することができること及び控訴人等主張の前示教育長通達が長野県教育委員会規則の委任により発せられたものであることは、教育公務員特例法第三条、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二十三条第三号、第三十三条乃至第三十五条、地方公務員法第四十条及び昭和三十四年長野県教育委員会規則第一号長野県立学校職員の勤務成績の評定に関する規則第六条第二項の諸規定に照し明らかである。而して控訴人等主張の前示教育長通達が昭和三十四年二月九日附をもつて長野県報に掲載告示されたこも、当裁判所に明らかなところである。してみれば控訴人等主張の前示教育長通達は、控訴人等及び被控訴人の主張する如き単なる県教育委員会等の控訴人等県立高等学校教員に対する職務上の命令たるに止まらず、長野県教育委員会が法律の規定に基いて制定した前示教育委員会規則を補充し内容的にはこれと一体をなすものとしての広義の法令としての実質及び効力を有するものと謂うべく、従つて控訴人等長野県立高等学校教員は所属学校長等の発する職務上の命令その他別段の措置を俟つまでもなく、勤務評定に関する前示教育委員会規則の施行によつて法律上当然に右規則及びこれに基く被控訴人等主張の教育長通達に従い右通達に定める勤務評定の様式第二表Bに所定の事項を記入し、これを所属学校長に提出すべき義務を負うに至るものといわなければならない。

控訴人等主張の教育長通達が右に説示したようにその根拠規定である前示県教育委員会規則と相俟つて法令としての実質及び効力を有するものである以上、控訴人等の本訴請求は法令の規定が憲法その他の法律に違反することを理由として右法令の規定によつて法律上当然に生ずる義務のないことの確認を求めるものであつて、一定の法律上の義務の存在しないことの確認を求めるいわゆる消極的確認訴訟の形を取るに拘らず、その実質は法令の規定が憲法その他の法律に違反することを理由にこれを遵守する義務のないことの確認を求めるもの、即ちある法令の規定が憲法その他の法律に違反する無効のものであることの確認を求めるものに外ならず、かかる訴は、その当事者間にその前提要件である具体的事件としての法律上の争訟の存在を欠くものとして行政事件訴訟の対象とはならない不適法のものであることを免れない。

更に控訴人等は被控訴人長野県を相手方として本訴を提起しているが、長野県それ自体としては控訴人等が長野県の職員であることからその使用者たる地位を有し、控訴人等に支給する給与についてその経費を負担するに止るのであつて、控訴人等県立高等学校教員に対しては任免の権限も職務上の監督権もなく、特にこれ等の者に対する勤務評定の実施に関してはこれに要する経費の負担はともかくとしてその外には何等の権限も責任もなく、控訴人等県立高等学校教員に対し勤務評定を実施するか否か、これを実施する場合いかなる方法によるか等を決定し、且この決定を実行することはすべて長野県教育委員会の権限と責任に属し、また県自体としてはもとよりその長も控訴人等県立高等学校教員に対し勤務評定に関する県教育委員会規則の定める義務の履行を直接又は間接に強制する如何なる手段をも与えられていないのである(控訴人等県立高等学校教員に対する勤務評定に関しては、長野県自体としては、同県知事が地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四条及び第七条の規定により県教育委員会の委員の任免権を有することを通じて極めて間接的な影響力を有し得るに過ぎない)。以上のように被控訴人長野県には控訴人等に対する勤務評定の実施に関し直接には何等の権限も責任もない以上、被控訴人は本訴については訴の正当な当事者としての資格を欠くものと解するのを相当とする(同様のことは長野県の長たる知事についても言うことができるのであつて、知事もまた本訴のような訴については正当な当事者たる資格を有しないことは勿論である)。

のみならず、仮に長野県を相手方として本訴のような訴を提起することが許されるとしても、このような訴が裁判所に係属していることは、控訴人等県立高等学校教員の任命権者である県教育委員会において控訴人等が勤務評定に関する同委員会規則の定める義務を履行しないことをもつて職務上の義務に違背するものとしてこれに対し懲戒その他の不利益処分をすることを妨げるものではなく、またこれとともに、控訴人等においても訴の方法によつて県教育委員会のした懲戒処分等の効力を争うことを妨げるものではない。而して県教育委員会が控訴人等に対し懲戒等の処分をした場合に控訴人等においてその処分の効力の排除を求めようとすれば本訴の外にまた別訴を提起せざるを得ないのであつて、仮に本訴のような訴の結果が控訴人等の勝訴に帰したとしてもこれだけでは懲戒等の処分の効力の排除を求める控訴人等の目的は達することができないのである。してみれば控訴人等の本訴のような訴は右の点からも無益の訴訟としてその利益を欠くものと謂うべく、控訴人等において真に前示長野県教育委員会規則及びこれに基く教育長通達が憲法等に違反することを理由にその効力を争おうとするのであるならば、すべからく県教育委員会が職務上の監督権に基き控訴人等に対しなすことあるべき懲戒その他の不利益処分の効力を争う訴訟においてこれをすべく、未だそのような処分の行われた形迹のない現在の段階において予め本訴のような訴を提起することは許されないのである(如上の説示は、仮に本訴のような訴が長野県教育委員会を相手方として提起された場合にも等しく妥当するのであつて、その場合にも訴はその利益を欠くものとして不適法であることを免れない)。

控訴人等は前示長野県教育委員会規則及びこれに基く教育長通達の定める自己観察表示の義務を履行するときは憲法や教育基本法の規定によつて控訴人等に保障された権利を害される結果となる虞があり、さればと言つて右の義務を履行しないときは県教育委員会によつて懲戒その他の不利益処分に付される危険があり、控訴人等は現在法律上不安定な地位に置かれていると主張するのであるが、類似の事態はひとり本件のような場合だけに生じるものではなく、また控訴人等のように公務員たる地位を有する者に限つて生じるものでもない。一般に個人に対し本件におけるが如く一定の書類の作成提出等の作為又は特定の行為の不作為を命ずる法令の規定はその数少くなく、これらの法令においては一般にその命ずる義務の違背に対し罰則を設けて刑事罰若しくは過料の制裁を定め、又はその他何等かの不利益処分に付し得るものとしているのが通例である。このような法令の規定についてある個人がその規定に従うときは何等かの不利益を受けるという場合に、その者がたとえその規定がこれより上位の憲法その他の法令に違反するとの意見を有するとしてもそれだけの理由によつてその規定の定める義務の存しないことの確認を求める訴を提起することはできないのである。ある法令の規定がこれより上位にある憲法その他の法令に違反することを主張する者がその法令の規定の定める義務の履行を拒否しようとするのであるならば、すべからく自己の責任においてこれをすべきものであつて、その義務違背に対する罰則の適用を目的とする裁判手続又は義務違背に対してなされた何等かの不利益処分の効力を争う裁判手続の過程を待つことなく事前に当該法令の規定の憲法適否等について裁判所の審判を求めることは、たとえ本件におけるような確認訴訟の形を取る場合であつても許されないことである。裁判所は関係者間に法律上の意見の対立があつて当事者が去就に迷うような場合においてもその対立が真に法律上の争訟と言うことのできる具体的事件にまで熟するのでない限り、法令の規定の解釈に関して審判をする権限を有するものではなく、またその責任を負うものでもないのである。

而して右のことは、長野県教育委員会規則及びこれに基く教育長通達の定める前示勤務評定の様式第二表Bの作成提出義務が控訴人等及び被控訴人において主張するように仮に長野県教育委員会が控訴人等県立高等学校教員に対して発した職務上の命令によるものと解する場合においても同様であつて、控訴人等は右命令が憲法その他の法令に違反することを理由として、本訴のような訴をもつて命令の憲法適否等の審判を求めることはできないものと謂わなければならない。即ちこの場合においても長野県は訴の相手方としての適格を欠き、また長野県教育委員会を訴の相手方としても確認訴訟の対象とならないことは前示義務を広義の法令の規定によつて直接に生じたものと解した場合と同様なのである。

およそ行政組織の内部において上司が部下職員に対し職務上の命令を発する場合部下職員は、その上司の発した職務上の命令が真に法令に違反すると信ずるのであるならば自己の責任においてその命令に従うことを拒絶し、よつて生じる結果に対処すべきものであつて、そのことなく事前に訴を提起して上司の命令の法令違反を主張し、これに服従する義務のないことの確認を訴求することは許されないのである。

更に控訴人等は控訴人等長野県立高等学校教員に対し前示勤務評定の様式第二表Bにおいて自己観察の結果の表示を義務づけることは控訴人等の有する世界観、人生観、教育観等、控訴人等個人の内心の自由に属する思想の表明を強制するものであると主張する。而して右様式第二表Bにおける「自己観察ならびに希望事項」欄の不動文字による記載及び同欄の記載要領として控訴人等主張の教育長通達別冊第二項(二十五)に掲げられた「自己観察ならびに希望事項自己評価にもとづいて、各Aの観察内容や、Bの各項目等を参考にしてつとめて具体的に記入する」との説明の内容を最大限に拡大して解釈すれば、前記控訴人等主張のような見解の生じる余地が全くないとは言えないが(しかしそのことから直ちに控訴人等が主張するような憲法あるいは教育基本法違反という結果が生じるかどうかは別箇の問題である)、このような解釈だけが唯一且必然のものではない。被控訴人はこれに対し、長野県立高等学校教員も教育者として不断に自己の職務について反省しているわけであつて、この反省を基とした種々の希望を有する筈であるから、自己観察と希望とは表裏一体の関係にあり、前示様式第二表Bの当該欄の記入に当つては自己評価と希望事項の双方について表示することはもとより、いずれか一方のみを表示することも許されるのであつて、控訴人等に対し自己観察事項を希望事項から分離して記入すべき義務を負わせる趣旨ではなく、もとより評定を受ける者が個人として如何なる主義、信条、人生観、世界観等を有しようともそれは問うところではないと主張し、現に右様式第二表Bの当該欄が控訴人等主張のように定められるに至つた経過について原審証人松岡弘、同新田稔及び同糸魚川祐三郎は右被控訴人の主張に副うような証言をしているのである。しかしながら右様式第二表Bにおける「自己観察ならびに希望事項」欄の記入を求める趣旨が控訴人等及び被控訴人のいずれの主張の通りであるか、又は更に右の記入を求める趣旨について第三の解釈を容れる余地があるかどうかということは、控訴人等が本件訴の基礎として主張する事実関係のもとでは未だ仮定の問題に過ぎないのであつて、控訴人等を含む長野県立高等学校教員の勤務の評定に関する前示教育委員会規則の具体的運用の結果を待つのでなければ、右様式第二表Bの当該欄の記入を義務づけることの憲法等適否の判断をすることはできないのである。即ち、例えば長野県教育委員会が右教育委員会規則の定める義務の違反があるとして控訴人等その他長野県立高等学校教員のうち前記様式第二表Bの作成提出を怠つた者に対し懲戒等の不利益処分をした場合にその効力の効力(編注、無効の誤記か)を争う訴訟において裁判所ははじめて憲法等適否についての的確な判断をすることができるのである。而してこのことは、結局本件控訴人等の訴がはじめに説示したように未だもつて具体的事件としての法律上の争訟について提起されたものとすることができないものであることを示すものに外ならない。

以上の説示によつて明らかなように控訴人等の本件訴は不適法として却下を免れないのであつて、これを適法とした原判決は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条の規定によつてこれを取消すべく、訴訟費用の負担につき同法第八十九条及び第九十六条の規定を適用し主文の通り判決する。(毛利野富次郎 平賀健太 加藤隆司)

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